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体外衝撃波結石破砕法
による治療
2004年2月

2月21日
昨年10月に尿路結石を患い、いくつかの石が出て痛みはなくなった。しかしCTの写真ではまだ右の腎臓の出口に4、5ミリの石が残っている。当時かかった病院の先生によると今にも落ちそうだということで、そのXデーがいつなのか心配だ。今年は仕事で海外に行く可能性も高くかの地であの痛みが出たらと思うとなおさら気がかりである。
やはり思い切って治療しようと決意、本日紹介状をもらいに行ってきた。かかるのは弥生台にある国際親善総合病院である。
来週の早い時期に行ってみるつもりだ。

3月7日
2月27日に治療を受け現在経過観察中。今のところ出てきた様子はない (´_`。)
治療は2泊3日の入院でおこなった。入院中の経過を詳細に記録しておきたいが今は時間がない。
近いうちにアップします。

3月13日
以下、初診から現在までの経過です。

2月24日
国際親善総合病院にいく。受付が8時半からなのでその前につくように家を出た。弥生台駅から徒歩約6分で病院に着く。広い道路に面した入口はあとからわかったことだが正面玄関ではなく裏口のようなところで建物としては地下1階に当たるところだった。
中に入って受付を探すが見つかるまでの間、やたらと病院の職員から「おはようございます!」と挨拶される。ずいぶん教育の行き届いたところだなーと思ったが、あるいはスーツ姿(病院がすんだら仕事に行くので)だったから事務方と勘違いされたからかもしれない。
総合受付で所定の用紙に必要事項を書き紹介状を出して待つことしばし。正面玄関脇のロビーのようなところはたいへん立派なつくりでまるでホテルのよう。そのわりには待っている患者の数が少なく(まだ早かったからかもしれない)「経営は大丈夫なのかしら」など要らぬ心配をしてしまった。たいそうなスポンサーがついているのだろう。受付の女性たちも気持ちのいい応対だった。
名前を呼ばれ泌尿器科の受付に行くように言われる。そちらで診察券、カルテなどを出した。しばらくして検尿とレントゲンを撮ってくるようにいわれた。それらを済ませ受付に戻る。ほどなく名前を呼ばれ診察室に。先生がレントゲン写真を見ながら石の大きさなどを説明してくれる。これらは前の病院でも聞いていたことなのでどうということもなかったが、ただ一つ違ったのは石のある場所が腎臓の上のほうにあるということだった。奥のほうにあるらしい。今までは出口に近いところにあって今にも落ちそうと言われていたのでこれはちょっと戸惑ってしまった。さらに破砕術の話を聞いているとそもそもこの破砕術というのは大きい石を4、5ミの大きさにするのが目的だそうで私の石がもっと細かくなるかはやってみないとわからないということだった。先生の口ぶりからするとちょっと無理なんじゃないかなというのが伝わってきて、ちょっと決心がぐらいついてくる。が、もう乗りかかった船、自分をはげまして「とにかくお願いします」と言い破砕術を受けることが決まった。破砕術を腎臓にやる場合は大事をとって当日と合わせて3日間の入院をすることになっていた。尿管結石の場合は日帰りでやれるそうだが腎臓はデリケートなためということだった。手術日(おなかを切るわけではないがこれは手術なんだそうな)の予定を確認、1日3人までということだったがたまたま27日の金曜に空きがあった。実はやるにしてももっと先かと思っていたのだが決心が鈍らないうちにと思いこの日に決めた。
このあと手術前の検査ということで採血、レントゲン、心電図、血が固まる速さの検査などをし、入院の手続きをしてこの日は終わった。

2月27日
手術当日10時までに来るようにということで9時20分ごろ病院に着く。受付を済ませ待っていると10時に係りの人が迎えに来た。そのまま病室に案内される。入院するのは10年ほど前にやはり石ができて七転八倒したとき以来である。泌尿器科の6人部屋で私を入れて3人が石の患者だった。うちお1人は今日が退院日でちょうど着換えが済んだところのようでまもなく出て行かれた。。あとから聞いたら救急車で担ぎこまれ破砕術を受けたが膀胱までは落ちてきたがまだ出てきていないとのことだった。1週間入院されたらしい。あとのお1人は昨日受けてやはりまだ出てきてないとのこと。ただ破砕後のレントゲン写真を見ると確かに割れているように思えたと言っていた。破砕前は1.5センチということだった。
パジャマに着替えてしばらく待つ。手術は午後2時半からでだいぶ時間がある。昨日受けた人(N氏)に手術の様子をいろいろ聞く。あまり痛みはないと聞いていたがどうもそうでもなさそうで、N氏いわくトンカチでたたかれるような痛みがしたとのこと。時間は約30分、手術中は痛み止めを施す用意もされているがそれを要求するまでにはならなかったと言っていた。終了後はしばらく赤いおしっこが出てくるらしい。手術後も腰を動かしたりすると痛みがあるそうだ。
2時ごろ看護婦さんが来て痛み止めの座薬を置いていった。そしてついに「では行きましょう」と声がかかった。ここでパジャマから病院の寝巻きに着替える。さあ、いよいよだ。
破砕術を受ける部屋はレントゲン室のとなりにあった。まずは術前のレントゲンを取る。次に破砕の部屋に行き寝巻きと下着を脱ぎ丸裸になってエプロンのようなものをつけて前を隠す。そのかっこうで破砕装置の台にのぼりあおむけに寝る。部屋には破砕装置の操作をする先生と看護婦さんがいた。先生の指示により体を動かし位置合わせをする。位置が決まったら腰の下あたりにお湯を入れていた。右腕に血圧測定のセンサをつける。用意ができましたということで先生、看護婦さんとも操作室に入り私一人が部屋に残される。部屋にはクラッシック音楽が低い音量で流されていた。「始めます」という合図がありついに始まった。
「カチッ、カチッ」とわりと大きい音が聞こえてくる。背中に静電気のパチッという感じの痛みがする。最初の一発目のときはびくっとしたがすぐになれ、これなら楽だと思った。回数を数えてみると約5秒間に8回程度のカチッ、カチッがあり約30分続いた。ときどき場所を変えて破砕を行っているようである。それにともない痛みは変化するが特に中盤から後半にかけて断続的に強い痛みがあった。結石が詰まったときに感じる痛みと同じようなものだった。しばらく続くとけっこうきつくもう少しでヘルプ!と言いそうになった。早く終わってくれー。
ようやく「終わりました」と声がかかり心底ほっとする。台からおり、エプロンを取って寝巻きに着替える。この時点では特に痛みは感じない。術後のレントゲンを撮り部屋に戻った。
部屋に戻ってから点滴を受ける。内容物は水分、塩分、ブドウ糖のものと抗生物質蛾入ったものの2種類だった。術後しばらくしてトイレにいったがN氏の言うようにたとえは悪いが赤ワインのような赤い尿と何かどろっとした赤い塊が出た。しかし石のようなものは出ていないようでちょっとがっかり。この日は点滴が終わるのに夜11時ごろまでかかりそのまま寝た。

2月28日
今日の予定は点滴大小各2本と朝9時ごろのレントゲン撮影。N氏が退院する日でいろいろ話をする。このN氏、巨漢で身長199センチ実業団バスケの選手だったそうだ。いまは後進の指導に当たっているとか。今朝から小さいかけらが出てきたと言って喜んでいた。10時前に退院されていった。
10時15分に先生の回診があったがまだレントゲン確認前で特に何もなし。暇なのと体を動かした方がいいだろうということで点滴をつけたまま院内を見学に廻る。それも1時間もかからず終わり、あとは本を読んで過ごした。夜 点滴が終わり針を抜かれて開放された気分。結局この日も石らしいものは出なかった。明日から飲む薬を渡される。

2月29日
退院の日。この日は治療は何もなく、朝食をとって家族の迎えがくるのを待つ。10時ごろ同室の先輩方に挨拶して退院となった。
結局 入院中は出なかった。がっかりである。

3月19日
退院から約3週間、経過観察のため病院に行く。尿検査とレントゲン撮影をして待つことしばし。ほどなく呼ばれて先生の話を聞く。今日の写真を見て「ここに写っているのがそれだと思います」とのこと。私にもうっすらと輪郭が見える。もともとが小さく、また骨の位置と重なるため見にくいようであるがどうもまだ腎臓内にあるようである。先生からは粉々にするのは難しい、今後は大きくならないかを観察するぐらいで特に治療をする必要はない、痛みはつらいだろうが生命に別状はない、アメリカならどこでも治療可能、などの慰め(?)の言葉をもらった。
最初から出ないかもしれないとは聞かされており、でもやれることはやっておこうという気持ちから受けた治療だった。それほどショックはないがちょっとがっかりしたのは事実である。ここにも医学の限界があるらしい。
今後はとりあえず様子見であるが、ネットで調べていると破砕の機械にもいくつか種類があるらしい。今回受けたものがどういう性能のものかはわからないが、小さい石でも粉々にできるという機械の情報を得たらもう一度トライしてみるのもいいかもしれない。とにかくあの痛みはもう御免こうむりたいのである。

今回の治療にかかった費用